求む!カメラを止めるな!がここまで大ヒットした理由
カメラを止めるな!
Amazonプライムビデオに登場したので、やっと観ることができました!
やった!
彼女と一緒に観ましたので、まずその感想から。
「……なんじゃそれ。
全っっ然面白くないじゃん!
なにが面白いの!?
日本人が面白いっていうの、全然理解できない!」
とのことです。
厳しいですねー。
ちなみに、これは外国人目線です。
私のまわりでも観ている人がたくさんいて、結構おすすめされてたんですよね。
面白いから絶対に観た方がいいよ!てな感じで。
観たいけど、どうしようかなあと足踏みしているうちに忘れかけ、そこからのプライムビデオに登場。
……
目次
以下ネタバレ。観てない方は観てから先に進んでくださいね。
本編について、構成がしっかりしてるよね
この作品、三部構成ですよね。
まず1回、カメラを止めないで回した作品を観客に見せる。
そのあと、メイキングにうつって、最後にネタバレをしながらもう一度作品を見せる。
- 作品を見せる
- メイキング魅せる
- もう一度ネタバレしながら作品を見せる
最初に観たときに、いくつか違和感を感じる人は感じるのですけれど、そのネタバレを最後にしてくれるのでスッキリするわけです。
なんとなく舞台裏を見ている印象で、関係者になったかのような錯覚があってそこらへんもワクワクさせてくれます。
初見の感想
なんの予備知識もなく、映画に詳しいわけでもなく、初見の感想としては、ちょっとクスっと笑える場面がいくつかある、バラエティ映画だったなというものです。
構成として、映画の舞台裏を舞台にするという点は新しかったのかなと思いますが、以前にもCMを製作する舞台裏を描いたドタバタ劇のような映画があったような気がします。
とすると、キャラクターが特別に際立った映画かというとそんなこともないような気がします。
特別に伝えたい主張があったのかとも考えますが、それも特には感じられませんでした。
観終わった後に思ったのは、なぜここまでこの映画がヒットしたのか?!ということでした。
キャラクターが際立っているわけでもない、特別な主張があるわけでもない、ストーリーが秀逸というわけでもない。
低予算映画というふれこみを聞いてはいましたが、それを覆すようなすごいクオリティだ!とも、とても言えないですよね。
出てくるイケメン設定キャラもそこまでイケメンでもなければ、ヒロインキャラもそこまでかわいいわけではない。
最初にノーカットの約30分ほどの作品が流れますが、これがいろいろな疑問点を残しながらテンポ悪く、役者の演技もどこかぎこちない。ふたを開けてみれば、そういう設定でやってたのか!あの時の疑問はそういうことだったのか!ということになるのですけれど、30分超その作品を見せられるのは、ちょっとだるい。
実はこれは映画を作るための演技でした!のネタバレの後の演技も、なんだかいかにもな演技に見えてしまうような流れだったように感じます。
と、いろいろと不満を欠きましたが、この映画はやはり高評価のロングヒットを飛ばしているわけです。
一体なにがそこまでこの映画の人気を押し上げたのか!?
人気の理由を考えてみる
性格が悪い(という設定)ヒロインとイケメンに対して、アドリブということで思いをぶちまけるシーンなんかは特に好きな場面です。
監督に対して偉そうにふるまってた女優気取りの子がこっぴどくやられるシーンはスカッとしますよね。
またこの作品でキャラクター的に際立っていたのが、監督と酔っ払い男の二人だったと思いますけれど、この二人の演技が特に面白かったなと思います。
ゾンビ役で出なければいけないのに、酒を飲んで泥酔状態、げろ吐きNGだと言われていたのに本物のゲロをぶちまける様は笑いを誘うのに十分です。
ゾンビにしては、へんてこな動きをしていたのは、結局酔っぱらってたからかいお前!と突っ込みたくなるような変な動き、理解しながら見るとやっぱり面白いなと思います。
細かな点で面白いなと思う点は、そんな風にいくつかあるのですが、やはりそれを考慮してみても、この作品がそこまで押しも押されぬ今年の顔のような大ヒットとなっている理由にはつながってきません。
一体の映画が大ヒットした理由はなんなのか!?
家でテレビで見たからその面白さが伝わってこないのでしょうか!?
映画館であれば、人目を気にして「笑ってはいけない」状態になるからこそ、面白さが増すのでしょうか。
まとめ
期待値が高かったからこそ、ハードルがとても高かったことは認めますので、決してこの作品を批判するつもりは全くないということを最後に記しておきたいと思います。
なにも知らずにみたとしたら、ははっ!面白い映画だな!と思ったと思います。
大人気作品でいろんな人がオススメしてくる、なんだかすごい映画なんだ、という思いで見たからこそ、こんな感じの感想となってしまったのですが、作品自体はユーモアたっぷりで、出てくる役者もなんだかひと癖ふた癖ありそうな味のある役者さんたちでした。
ということで、この映画がここまでものすごい高評価で大ヒットした理由、誰か教えてほしい!
価格:3,888円 |
【イスラム式】徳の考え方、個人編
「徳」に対する考え方というのは、日本においてもかなり大きな特性のひとつではないでしょうか。
徳というと、固い言葉ですが、簡単に言えば「良い人」なのか「悪い人」なのかを表す言葉です。
良い人であるなら、徳が高く
悪い人であるなら、徳が低い
ということですね。
そんな、徳について考えていきましょう。
目次
徳とは
イスラムにおける徳というのは、
人がその精神に備えさせる気質
のことを表します。
精神というのは人の根本を司るもので、肉体はその精神によって行動します。
気質にも「良い気質」と「悪い気質」があります。
良い気質をたくさん備えることで、徳を高くすることができると考えます。
日本においても「道徳」というものがあり、「道徳的に考えて……」など、人として本来あるべき行為について語るときに、徳の道がどうであるかということを議論しますね。
イスラムにおいても、日本においても徳に対する考え方は同じものだと言えますね。
徳が高ければなにが起こるのか、徳が低くてなにが悪いんだ、という人も中にはいます。
しかし徳が低い場合には、宗教的な考えは関係なくしても、悪い気質を持った人であり、悪い精神を持った人というのは自ずとその行為は悪いものになります。
人をだましたり、傷つけたり、盗んだり、そうした悪い行いにつながります。
よって、誰も徳の低い人には近づかなくなりますね。
それでも構わないよ、という人は、まずいないのではないでしょうか。
徳が高い人というのはまさにその反対の、良い気質を持った人であり、考えなくともその行為は良いものになります。
良いことをしよう、人のためになることをしよう、と意識しなくても、精神に良い気質が備わっているのなら、その行為は自然と言い行いをするということです。
そうした徳の高い人が、幸福な人生を送ることになるということは自明の理ですね。
幸せになりたいのなら、徳を高めることが示された道である、ということが分かると思います。
徳を高めるにはどうすればいいのか
では、徳が高ければ幸せになれるといっても、具体的にどうすればいいのか、という問題があります。
誰かに優しくしてあげればいいのか、寄付をすればいいのか、献血をすればいいのか、ボランティアをすればいいのか。
イスラムでは、良い行いと悪い行い(禁止された行い)というのはある程度決められています。
6信5行というのはイスラム教徒の義務とされていますが、これを行うことは良いこととされていますので、良い徳を得ることにつながります。
それってなに?と気になる人はこちらの記事をどうぞ。
その中身は、神を信じることや、1日5回の礼拝を行うことなどが含まれますが、私たちの普段の行いにも通じることがあります。
- 喜捨
- 断食
という行いは、徳を高めることにつながります。
一つずつ見ていきましょう。
喜捨(ザカート)
喜んで捨てると書いて喜捨ですね。
これは、困窮者の救済を目的とした施しのことです。
金銭や収穫物などを一定の割合で、貧しい人や寡婦(かふ、おんなやもめ)、孤児などに対して施すことです。
要するに、「寄付」ですね。
日本においても、多くの喜捨の文化が根付いているように思います。
大きな自然災害が起こった際には、大きな金額の寄付が集まりますし、ボランティア活動として、自分の時間と活動を喜捨することが自然と行われていますね。
お金を寄付することももちろんですが、献血を行って自分の血液を寄付することも、ボランティア活動で自分の時間と活動を喜捨することも、困っている人を助けるという目的に照らし合わせると、立派な喜捨ですね。
断食(サウム)
イスラム歴の第9月は断食月(ラマダーン)です。
この月に行われるのが断食(サウム)です。
日の出から日没まで飲食や性交が禁止されます。
断食についての詳しい記事はこちら。
なぜ断食が徳を高めるのにつながるかのか言うと、日の出から日没まで飲食を断つということはそれはとてもつらい経験です。
ですが、困窮者、金銭的に貧しい人というのは日頃その苦しみやつらさを味わっています。
私たちは断食を行うことで、そうした恵まれない人たちのつらさを知って、寄り添うことができるのです。
誰かの苦しみやつらさを知ることができれば、自然と助けてあげたいという気持ちが起こりますよね。
家族や友達、恋人が困っていたらきっと助けない人はいないと思います。
その心を、孤児や寡婦、貧しい人にも向けられるようになるのではないでしょうか。
現代においても、高齢者の貧困化や世代間格差であったり、独身女性の子育ての金銭的な厳しい状況というのは大きく取り上げられているにも関わらず、問題が解決している様子はありません。
喜捨の 精神、断食から学ぶ良い気質について、よく考えてみることが必要なのではないかと思います。
まとめ
私たちの生活は、住んでいる地域であったり、所属している学校や会社であり、多くの時間を共に過ごしている家族から成り立っています。
まずはそうした目に見える身近な人たちに対して自分ができることはないか、相手がなにか困っていないか、助けになれないか、ということを考えてみて、実際に行動に移すことで良い徳が得られることになります。
誰かの助けになることはまわりまわって自分の助けとなります。
困っている時に助けてくれたというのは、よく覚えているのではないでしょうか。
その人に恩返ししたいと思うのは当然の気持ちですね。
今回は、少し難しい徳について考えてみました。
できることから1つずつ、身近なところからはじめてみましょう。
楽しくない仕事との向き合い方
楽しく仕事をしている人の割合は、6%だというデータがあります。
つまり94%の人は、仕事は楽しくないと思いながらやっているんですよね。
なんのために楽しくないことをしているかといえば、当然お金のためですね。お金を稼ぐのは生活のためです。
94%の人は生活のために仕方なく、楽しくない仕事をしているというわけです。
目次
94%の仕事は楽しくない
6%の人は楽しく仕事をしているとなると、仕事を楽しくするためにはどうするかということを考えたくなりますね。
その結果、楽しくするためにはどうすればいいか?などのレクチャーや指南本も出てくるわけですけど、少し違うと思うんですよね。
そうではなくて、
94%の仕事は楽しくないもの
だと思うんです。
そうですよね。94%の人は仕事が楽しくないんです。
つまり、94%の仕事は楽しくないものなんです。
例えば、接客が好きなんです!という人が居酒屋で働いているとして、一生遊んで暮らせるお金を手にした時に、今の仕事を続けるかといえば、まずしないですよね。
少なくとも94%の確率で、さっさと楽しくない仕事をやめて人生を楽しみ始めるはずです。
でもそう考えるとあることに気付きます。
一生、もしくは孫の世代、ひ孫の世代まで遊んで暮らせる資産を持ちながら、未だに仕事を続けている人も世の中にはたくさんいますね。
そういった人たちを仕事に向かわせているものはなんなのか。
この謎を解き明かすことが、楽しくない仕事を続けていくうえでとても重要なことなのではないかと考えます。
仕事が楽しいという人の共通点
仕事がうまく言っている人をよく観察していると、ある程度の共通点というものが見えてくると思います。
全ての人に共通しているわけではありませんが、主にこういうことが挙げられるのではないでしょうか。
1.楽しくないことでも懸命に取り組むことで、その仕事における高い地位を確立した結果、仕事が楽しめるようになった。
2.楽しくて熱中できることを仕事にしたから、人より秀でることができて、そのまま楽しく続けられている。
成功したからこそ、その仕事に精通したからこそ楽しく仕事をできているといことはあると思います。
やっているうちに、また上手くなるにつれて、それが楽しくなるということは、スポーツと似ているかもしれません。
最初から楽しいことでそれを仕事にできるのであれば、なおさらです。
これができる人は、相当に運がいいでしょうし、親の育て方が上手かったり、さまざまな要因はあるでしょうけれども、楽しいことをやるのですから人より上手にできて当然です。
それにかける時間も人一倍になりますね、楽しいのですから。
その結果、当然いい成果を上げることができます。
仕事が楽しくないということは、悩むことではありません。
楽しいしごとなんていうものは、6%しかないのですから。
94%の確率で、楽しくない仕事をすることになるのです。
楽しくない仕事をするのが分かっているのであれば、それとどのように向き合うかということをまず考えるべきです。
その仕事を「楽しい」というレベルまで持っていくのは無理かもしれませんが、やり方次第ではその一歩手前まで持っていくことはできるかもしれません。
楽しくない仕事だとしても、その仕事における自分の技能や成果を上げることによって、周囲から認められる存在になること。
あいつは仕事がすごくできるやつだ。
そんな評価を得られるようになってやっと、楽しくない仕事から少しばかり脱却できる日が来るはずです。
今の仕事が楽しくないからといってすぐに投げ出すのではなく、まず目の前の仕事で周囲が認めざるを得ない成果を出して、その時に周囲から認められる存在になることを目指していてはいかがでしょうか。
ただし、自分の特性と仕事内容が全く合わないという場合もあると思います。
そんな時には、少しでも自分の得意なことや興味のあることを仕事にできるの環境に移ることも検討する必要があるでしょう。
10頑張ったら10の成果を望める場所が必要です。
10頑張っても2しか成果が出ないようであれば、そこで頑張ることは時間の無駄です。
もっと自分にあった環境というものが他にあるはずです。
まとめ
繰り返しになりますが、94%の人は楽しくない仕事をしています。
そこから完全に抜け出すことは至難のわざであることは言うまでもありません。
一部の成功した人たちは言うかもしれません。
楽しくないなら辞めちゃいなよ、なんとかなるよ、と。
でも、辞めてからその次に待っているのは94%の楽しくない仕事と、6%だけある楽しい仕事です。その6%を掴み取ることができるでしょうか。
それを掴み取ることができるならそれも良いです。
ですが、楽しくない仕事の中で、その仕事とうまく付き合っていく術を身につけるということで、ローリターンになるかもしれませんが、ローリスクを取るという選択肢もあるはずです。
多様な生き方がある現代でも、成功する人というのは限られています。
成功と言わないまでも、小さな成功を積み重ねて成功に近づくことを目指してみませんか?
そうした努力と小さな成功体験が、楽しくない仕事から抜け出す第一歩となるのはないでしょうか。
ネトゲ中心な彼女の生活から見る遊びの過去未来
ネトゲにハマってハマって、まさにネトゲ中毒な彼女のご紹介を以前の記事でしましたが、その後も絶賛継続してネトゲ中毒者の道をまっしぐらな彼女。
前回までの記事がこちら。
その後も特に飽きることなくネトゲライフを満喫しているご様子。
ネトゲが伝える過去と未来
ネトゲと言ったり、ソシャゲと言ったりしますが、ソーシャルゲームの方が少し社会的な雰囲気が出るんでしょうか。
人と人とのつながりがあるゲームなんでしょうね。
インターネットが普及したことでIT革命が起こり様々な分野に多大な影響を与えましたが、この「遊び」というものについても様変わりしましたよね。
最近は、子供が帰ってきたときに、「3時から友達と遊ぶね!」なんて言っていたとしても、友達が遊びに来るわけでも、かといって子供は出かけるわけでもない。
3時になって、なにか子供がしゃべっているなと思ったら、友達とオンラインでつながって一緒にゲームをしていた。
なんていうことも当たり前となっています。
これ、数年前だと考えられなかったことじゃないでしょうか。
あるいは、パソコンのMMORPGなどやっている人もいたでしょうが、プレイステーションや任天堂スイッチなどのメジャーなハードでできるようになったこと、またインターネット環境が飛躍的に整ったこと、ソフトが充実したことなどによって、その存在感をさらに大きくしたように感じます。
家でゲームばっかりしてないで、友達と外で遊んできなさい。
なんて言葉が昔は聞かれましたが、まさに友達と遊ぶのにも、家の外に出る必要が全くなくなってきています。
逆に、外に出てしまうとオンラインで友達とつながるのが困難にもなりかねない状況です。
こうした環境で育った子供というのは、今の大人たちとは全く違う価値観を持っているのだと思います。
距離にとらわれず、オンラインの交流に長け、それを活用して当たり前に日常生活と同化させていく感覚を持って大人になっていくのです。
そんな子供たちが大人にるあと10年後20年後に必ず大きなパラダイムシフト、イノベーションが起こるのではないでしょうか。
そして目下のネトゲ、いやソシャゲ中毒な彼女は今日も、オンラインで顔も知らぬ友達とパーティを組んで、レベ上げレベ上げレベ上げ。
からの、YouTube配信。イエー!
まとめ
ひと昔前の、ひたすらゲームだけと向き合い、製作者の意図に従うだけの遊びはとうに終焉を迎えているように思います。
遊び方というのはインターネットの発達で確実に変わりましたし、それは現代の人間関係を根底から変化させるものになってきています。
ビジネスはもちろん、友達関係から、ショッピング、政治活動にいたるまであらゆる場面でソーシャルネットワークが活用され、今やそれを理解せずに生活はできません。
ネトゲかよ、ソシャゲなんか、と言っているうちに時代に取り残されないように、常に情報のアンテナを張り巡らせなければいけないものだと感じます。
同時に、私のプレイステーションのプレイ時間がほぼゼロなのが、いいことなのか悪いことなのか、判断つきかねるところです。
イスラム圏の人の食事はどこに連れていけばいいの?
もうすぐ2019年ですね。
2020年の東京オリンピックが本当に近づいてきている感じがしますね。
そんな中で特に経済効果を考えたときに外せないのがインバウンド需要。
そのインバウンド需要の中でも大きな影響を持つといわれているのが、イスラム圏からの観光客です。
そのイスラム圏の観光客が日本に来た時に一番困るのは何かというと、食べるものなんですね。
イスラム教徒の人が食べることができないものに、豚肉があります。
豚肉の他の牛肉や鶏肉が食べれるのかというと、日本にあるほとんどのお肉は食べることはできません。
ここのところは、別記事で紹介していますので、よければ参考にしてくださいね。
お肉が食べられないとなると、思った以上に、選択肢が急に減ってしまうものなんです。
そこで今回は、イスラム圏の人が安心して食べることができるお店を紹介していきます。
どんなお店に行けるのか
今回ご紹介するのは、ハラール認証のお店だとかは抜きに、一般的なお店ではどんなお店が行けるのかということを説明していきたいと思います。
日本の飲食店で出されるお肉がダメだということは前出した通りですが、では一体なにが食べられるのかというと、こちら。
- 魚
- 野菜(ビーガン、ベジタリアン向けのお店はOK!)
- 米
- ソバ
- うどん
- てんぷら(植物性油を使用したもの)
- スイーツ系(ゼラチン不使用)
はい、そんなところです。
少ない!
ではそれをふまえて、どんなお店に行けばいいのか見ていきましょう。
- 寿司屋
- ビーガン、ベジタリアン向けのお店
- おそば・うどん屋
- 天ぷら屋
- パスタ屋
- ファミリーレストラン
- スイーツ系のお店
- 定食屋
- 和食屋(注意)
こんなところです。
中にはもちろん、そのお店のメニューで食べられないものもあります。
それは、イスラム教徒の人が自分で選んで、食べられるものを頼むことになります。
ですがとりあえず、どこに入ればいいのか全く分からない、でもまわりにハラール認証のお店がない、というような場合は上記のお店に行くといいでしょう。
なにかしら、食べられるメニューがあるはずです。
和食に関しては、みりんや、料理酒が使用されているものが多いので、あまりおすすめはできません。
お味噌なども多くは「酒精」などが含まれており、これも禁止されています。
お寿司はたいてい食べられるのですが、しょうゆに含まれるアルコールが禁止されているので、注意が必要です。
まとめ
細かな点を挙げていくとどんどん食べられるものがなくなってしまうのが悲しいところですが、実際には案外そのあたりの考え方が緩いイスラム教徒の方もいます。
それに、同じ人間ですから、食べたからと言ってすぐに身体に不調をきたすというわけでもありません。
中には豚も食べてアルコールもなんのそのでお酒を飲む人だっているのですが、だからといって無理に食べさせようとしたり、まあまあいいじゃないか試しに食べてみろよ!のように軽い気持ちで勧めることもやめておいた方がいいでしょう。
相手はあまりいい気分ではないはずです。
今回はイスラム圏の人の食事をどこに連れていけばいいのか、という視点でまとめてみました。
基本的には、ハラール認証のお店を連れていけば問題ないです。
もし相手が日本ぽい料理を希望したり、ハラール認証のお店がなかった場合に、今回おすすめしたお店を思い出していただければ幸いです。
有給休暇を取らせたくない管理職と取らない社員
社会人になって働いていると、なかなか休みが取れないということに最初のうちは戸惑いました。
有給休暇がたくさん余っているのに、なんだか休めない。
他の人たちは、休みたくないのか?なんて思ったものです。
毎日働いて、週休2日で土曜と日曜日だけ休み、たまに祝日があればみんなきちんと休みを取る。
年末年始も、ゴールデンウィークも、盆休みも、ある程度まとまった休みになると、ここぞとばかりに行楽地へ行ったり、旅行へ行ったり、楽しそうに過ごす。
でも、有給休暇は使わない。
おかしなものですよね。
目次
年次有給休暇
年次有給休暇は労働基準法で認められている権利ですね。
その権利を行使しないことが当たり前になってしまっている現状があります。
働き方改革関連法案で、残量時間の上限が決められたり、強制的に5日の有給休暇を消化させたりと、いろいろな手を打ってきています。
実際の声は
仕事がら、いろいろな企業の社長や管理職の方だったり、または工場の現場で働く方などと話す機会が多い職で働いていますと、いろいろな声が聞こえてきます。
今回は主に、中小企業の方に聞いた声をまとめていきたいと思います。
現場の声
現場で一番の働き手となっている人たちの声は決まって、もっと休みたいというものです。
しかし、社内の空気が、自由に休めない雰囲気を作り出しています。
その空気を読み、従うことで、会社に忠実な社員としての評価を上げることになります。
しかしこうした人たちは、権利として与えられた有休を、結果として何十日も何百日もドブに捨てることになるのです。
そうした方が利口だと考え、有休を捨て去ることを自ら選んでいるのです。
実際に、1年間全く休みを取らなかった社員に対して、皆勤賞だとして褒め称えるという話も耳にしました。
有休を取得するもしないも個人の自由ではありますが、休みを取らないことがまるで良いことであるかのように褒めるのは、意図的に意識付けを行っているようにも感じますね。
管理職の声
ある一定以上の年齢の管理職以上の方になってくると、自身がいままで有給休暇などほとんど取らずに、一生懸命に働いてきたんだという自負があります。
会社を休むということは、悪いことなんだという意識が非常に強く感じられます。
当然、社員には少しでも長く働いてもらって、稼いでもらわなければなりません。
会社員がなんのために働いているかというと、会社の業績を上げるためだからです。
そのためには、休まずに働いてもらうことが最善と考えるの当然なのかもしれませんね。
実際の有給休暇
現在の有給休暇の使い方というのは主に3つありますね。
- 冠婚葬祭
- 病気
- 退職時の有給残の消化
この3つに当てはまる休暇については、誰も文句を言う人はいませんね。
逆に、この3つの理由以外で休むことは、あまりよく思われないのが現状です。
しかし、休みを取りたい社員側では、いろいろと考えて苦肉の策を講じる場合もあるようですね。
対策
会社に雇われて働く以上は、業績を上げることが課せられた義務となります。
その義務を全く果たすことなく、ただ休みたいんだということも道理に外れているということを考えながら、それでも権利を行使することも同時に果たしたいものです。
休んでほしくない管理者側と、休みたい側双方の言い分が合致する地点は数少ないですが、存在しないわけではありません。
- 有給休暇を取っても文句を言われないほどの好業績を上げる
- なし
2番手にあがる理由がないほど、この1点につきると考えます。
実際に、会社から期待されている以上の業績を上げる社員は、かなり有給休暇を取得している傾向があるようです。
働き方改革の骨子は、
- 労働生産性を上げる
- 長時間労働を避ける
- 出生率を上げる
- 格差をなくす
- 働き手を増やす
といったものですね。
この要旨に合致する手段としても、有効だと思います。
労働生産性を上げ、好業績を上げることで、長時間労働を避ける。
自由に有給休暇が取得できるようになれば、子育てへの不安も解消されることになり、出生率を上げるということにもつながることになりますね。
まとめ
中小企業と大企業ではまた、休暇に対する考え方が大きく違ってきていますね。
休暇取得を推進したり、残業していることが問題視されたりすることもあります。
そうした考え方が早く浸透すればいいと思いますが、中小企業においては実際にはある程度世代交代がなされた少し先のこととなりそうです。
そうした状況の中でも、まず必要なのは自身の実力を高めて、社内での地位を確立していくことです。
そうして実力がつけば、条件のいい会社へ移ることも可能となってきます。
有給休暇取得について考えていくと、そうした結論にいきつくのではないでしょうか。
人生に迷い悩む時 何度でも読み返したい名著「嫌われる勇気」
人が悩みを持つときの大半は、対人関係に由来するものと言われています。
職場での悩みや、学校での悩みなどを思い返してみると、それは人間関係に関することではないでしょうか。
友達の輪の中に入れない。
いつも意地悪なことを言ってくる奴がいる。
先輩が無茶なことばかり言う。
上司がパワハラまがいなことを言ってくる。
自分の実力を会社が正当に評価してくれない。
お客さんが商品を買ってくれない。
など、一見人間関係に見えないような悩みも、深く掘り下げてみると、たいてい人間関係の悩みであることがほとんどです。
目次
嫌われる勇気とは
「嫌われる勇気」は、2013年にダイヤモンド社から発行された書籍で、精神科医・心理学者・社会理論家のアルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を解説したものです。
本書内では、哲人と青年の対話形式で話が進められていき、悩める青年が多くの疑問を投げかけ、哲人がそれに答えることでアドラー心理学の考え方を説明していきます。
詳しい内容は本書に譲ることにして、この本から得られる知識と現代について考察してみます。
トラウマは存在しない
本書において、「トラウマは存在しない」としています。
現代では精神的な病が認知されてきて、多くの会社でメンタルサポートやストレスマネジメントの対策が行われています。
また、政府主導の働き方改革によって、労働時間や雇用形態について、今までないがしろにされて、不遇な中で働いてきた人たちへも、支援の手が差し伸べられ始めました。
働き方改革とは?政府の施策と企業が取り組むべき課題を基礎から解説 | 福利厚生のRELO総務人事タイムズ
メンタルな部分が語られることが多くなった昨今で、過去の体験がもとで心に傷を負い苦しんでいるような場合に、トラウマのせいだということになりますが、それを否定しています。
過去にどんな経験をしたかによらず、その経験にどんな意味を与えるかは自分の選択だとしています。
その経験が自分を苦しめるものだという決定をするのか、そんなこともあったのだと過去のものとして踏み台にしていくのか、取るに足らないことだとして忘れていくのか、あるいは自分が成長をするために必要な経験だったのか。
与える意味によって、自らを決定するのです。
人は変わることができる
確かに過去の経験は、今の自分には関係のないものです。
今の自分がどんな人間でどんな行動を起こすかは、今決めるものであって、過去に左右される必要などありませんね。
過去になにがあっても、人は変わることができます。
いつも遅刻ギリギリで出社する人も、明日から30分早く出社することは可能です。
昨日まで1日中ゲームをしているような生活でも、今日から1日1時間、勉強をはじめることは可能です。
友達がいないという人も、気が合いそうな人に声をかけることは可能です。
どんなに不安で、その行動に勇気が必要であったとしても、人はそうなりたいと思う自分に変わることができます。
ただ、変わらない人というのは、今の自分から変わらないぞという決心をしている、と本書は言います。
いろいろと不満があったとしても、今の自分でい続ける方が楽な選択肢だからです。
その選択を自分で行っていることに気付かない人が、不満を言い続けているのですね。
会社の待遇に不満がありながらも、なにも変わらずにいつも通り仕事をする人。
成績が伸び悩んでいるにも関わらず、今のやり方を変えない人。
ダイエットしたいと思いながらも、なにも行動を起こさない人。
変わることができるのに、変わらない方が楽だということで、自ら不満の中に身を置く行為をしていると考えると、なにかおかしいですね。
人生の意味
またアドラー心理学では「一般的な人生の意味はない」としています。
人生の意味がないなんて言い切るとは、かなり衝撃的ですね。
生きている意味はなんなんだろう、そんなことを考えたことがない人なんていないですよね。
その答えが、意味などない、と言っているのですから。
そして本当に言いたいことというのは、人生の意味というのは、与えられているものではなく、自分自身に与えるものだ、といいます。
生まれついた家によって、国や地域によって、生きやすかったり生きにくかったりする不条理で不合理な世界だからこそ、この「生きる意味は自分自身に与えるもの」という考え方は不変のものだと思います。
生きる意味が全く見えていない状態だと、生きる目標というものも定まりにくいと思います。
日々なんとなく生きていて、それを良しとするのもいいですし、それが自分の生き方だというのもいいと思います。
誰もが幸せに生きたいと願う世の中で、他人によって与えられる幸せなど存在しないことは明白です。
自分が自分に対して生きる意味を与え、幸せに生きるために自分を今から変えていく決心をする。
哲人の静かな語り口に、こうした力強いメッセージが秘められているのを、読者はひしひしと感じることになります。
自分の身に置き換え、今の自分があることの原因がなんなのか、過去になにかがあって、そのせいで今の自分はこんなに不幸なんだと、考えがちですし、そう考えた方が楽なのは確かです。
ですが、過去にとらわれている時間よりも、未来に向けて一歩を踏み出す方が、心地いいものです。
その一歩を踏み出すヒントをこの哲人と青年のやり取りから感じ取れるのではないでしょうか。
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