【イスラム式】徳の考え方、個人編
「徳」に対する考え方というのは、日本においてもかなり大きな特性のひとつではないでしょうか。
徳というと、固い言葉ですが、簡単に言えば「良い人」なのか「悪い人」なのかを表す言葉です。
良い人であるなら、徳が高く
悪い人であるなら、徳が低い
ということですね。
そんな、徳について考えていきましょう。
目次
徳とは
イスラムにおける徳というのは、
人がその精神に備えさせる気質
のことを表します。
精神というのは人の根本を司るもので、肉体はその精神によって行動します。
気質にも「良い気質」と「悪い気質」があります。
良い気質をたくさん備えることで、徳を高くすることができると考えます。
日本においても「道徳」というものがあり、「道徳的に考えて……」など、人として本来あるべき行為について語るときに、徳の道がどうであるかということを議論しますね。
イスラムにおいても、日本においても徳に対する考え方は同じものだと言えますね。
徳が高ければなにが起こるのか、徳が低くてなにが悪いんだ、という人も中にはいます。
しかし徳が低い場合には、宗教的な考えは関係なくしても、悪い気質を持った人であり、悪い精神を持った人というのは自ずとその行為は悪いものになります。
人をだましたり、傷つけたり、盗んだり、そうした悪い行いにつながります。
よって、誰も徳の低い人には近づかなくなりますね。
それでも構わないよ、という人は、まずいないのではないでしょうか。
徳が高い人というのはまさにその反対の、良い気質を持った人であり、考えなくともその行為は良いものになります。
良いことをしよう、人のためになることをしよう、と意識しなくても、精神に良い気質が備わっているのなら、その行為は自然と言い行いをするということです。
そうした徳の高い人が、幸福な人生を送ることになるということは自明の理ですね。
幸せになりたいのなら、徳を高めることが示された道である、ということが分かると思います。
徳を高めるにはどうすればいいのか
では、徳が高ければ幸せになれるといっても、具体的にどうすればいいのか、という問題があります。
誰かに優しくしてあげればいいのか、寄付をすればいいのか、献血をすればいいのか、ボランティアをすればいいのか。
イスラムでは、良い行いと悪い行い(禁止された行い)というのはある程度決められています。
6信5行というのはイスラム教徒の義務とされていますが、これを行うことは良いこととされていますので、良い徳を得ることにつながります。
それってなに?と気になる人はこちらの記事をどうぞ。
その中身は、神を信じることや、1日5回の礼拝を行うことなどが含まれますが、私たちの普段の行いにも通じることがあります。
- 喜捨
- 断食
という行いは、徳を高めることにつながります。
一つずつ見ていきましょう。
喜捨(ザカート)
喜んで捨てると書いて喜捨ですね。
これは、困窮者の救済を目的とした施しのことです。
金銭や収穫物などを一定の割合で、貧しい人や寡婦(かふ、おんなやもめ)、孤児などに対して施すことです。
要するに、「寄付」ですね。
日本においても、多くの喜捨の文化が根付いているように思います。
大きな自然災害が起こった際には、大きな金額の寄付が集まりますし、ボランティア活動として、自分の時間と活動を喜捨することが自然と行われていますね。
お金を寄付することももちろんですが、献血を行って自分の血液を寄付することも、ボランティア活動で自分の時間と活動を喜捨することも、困っている人を助けるという目的に照らし合わせると、立派な喜捨ですね。
断食(サウム)
イスラム歴の第9月は断食月(ラマダーン)です。
この月に行われるのが断食(サウム)です。
日の出から日没まで飲食や性交が禁止されます。
断食についての詳しい記事はこちら。
なぜ断食が徳を高めるのにつながるかのか言うと、日の出から日没まで飲食を断つということはそれはとてもつらい経験です。
ですが、困窮者、金銭的に貧しい人というのは日頃その苦しみやつらさを味わっています。
私たちは断食を行うことで、そうした恵まれない人たちのつらさを知って、寄り添うことができるのです。
誰かの苦しみやつらさを知ることができれば、自然と助けてあげたいという気持ちが起こりますよね。
家族や友達、恋人が困っていたらきっと助けない人はいないと思います。
その心を、孤児や寡婦、貧しい人にも向けられるようになるのではないでしょうか。
現代においても、高齢者の貧困化や世代間格差であったり、独身女性の子育ての金銭的な厳しい状況というのは大きく取り上げられているにも関わらず、問題が解決している様子はありません。
喜捨の 精神、断食から学ぶ良い気質について、よく考えてみることが必要なのではないかと思います。
まとめ
私たちの生活は、住んでいる地域であったり、所属している学校や会社であり、多くの時間を共に過ごしている家族から成り立っています。
まずはそうした目に見える身近な人たちに対して自分ができることはないか、相手がなにか困っていないか、助けになれないか、ということを考えてみて、実際に行動に移すことで良い徳が得られることになります。
誰かの助けになることはまわりまわって自分の助けとなります。
困っている時に助けてくれたというのは、よく覚えているのではないでしょうか。
その人に恩返ししたいと思うのは当然の気持ちですね。
今回は、少し難しい徳について考えてみました。
できることから1つずつ、身近なところからはじめてみましょう。